今日のお題 「日本一の悪妻」 。
日本一の悪妻と聞いて 「私のこと?」 って思う人はいませんか?← ワタクシは多分、悪妻にはならないと思う・・・。
悪妻、悪妻と言っても実際のところどうなんでしょう。悪い評判だけ表に出てしまって、そいの人のよいところが表に出てこないだけで悪評ばかり目立ってしまう人は損をしてますね。
日野富子・・・
京都の夏の夜を彩る 「五山送り火 (ござんおくりび)」。
そのゆったいははっきりはしませんが、室町幕府8代将軍・足利義政 (あしかが よしまさ)の時代、神道家の吉田兼倶 (よしだ かねとも) が、あの世への変える霊の供養に考え出したとする説があります。
義政の妻、日野富子は、息子の義尚 (よしひさ) を将軍にするため 「応仁の乱」 を招いて京を焼け野原にしたとか、病で倒れた夫をあっさり見捨てたなど、とにかく評判が悪かったようです。
けれど富子は兼倶の吉田神道をあつく信仰し、多くの寄付をしていたようです。それが人の心を慰める送り火のたきぎ代になったとすれば、決して悪いお金の使い方ではないですよね。
別荘を金箔でつつもうとしたのに金をつくれず、名ばかりの 「銀閣寺」 を残した夫の義政より、よほどましと。(← お金を工面できず作った寺とは知らなかった・・・)実は富子は上品な感性と気配りの持ち主だったようです。
ある宮廷女官の日記によると、富子から天皇へのマツタケやアユなど旬の献上品は、早く採れる産地を調べていたらしく、夫の義政や公家連中より必ず数日早く届けられたといいます。(夫をたててないとも言うが・・・苦笑)
幼い皇子への贈り物には可愛さしい手作りの小物が添えられていたとも・・・。
でもね・・・
富子が嫌われていた理由は、将軍の妻でありながら高い利子でお金を貸し、ひたすらお金をため込んだため。
応仁の乱では敵方の大名・畠山義就 (はたけやま よしなり) にさえ1,000貫文 (カンモン)(現在の5,000万円以上!) を貸し付けていた・・ってすごいよね (笑)
そこからとてつもない暴利を得ていたからそれもそれですごい女性だこと。また、税金を自分の懐に入れたり、便宜をはかった時の謝礼はすぐに現金で持ってこさせたり。
それらが全て、口うるさい公家や僧侶に書きとめられてしまったというわけですね。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝 (みなもとの よりとも) をしりにしいていた北条政子が、幕府おかかえの物書きによる 「吾妻鏡(あずまかがみ)」 でほめたたえられているのとは対照的ですね~。
将軍の正妻でありながら夫に従わず、室町幕府の政治・経済の実権を奪う・・・このことから 「日本一の悪妻」 と呼ばれているのでしょう。夫の力のなさが原因だったとも言われておりますが強い女は違いますね・・・ ( ̄ー ̄;) 賢いというか、傲慢というか、人の評価はそれぞれですね (笑)
さて、わたしはどうなんだ???(笑)
Toaki